死について2018.02.19
死を極端に恐れていた時期があった
あれはだいぶ前で
自我が確立する前のことだろう
テポドンが落ちると言われた小学3年生の昼休み
友人から聞いたその話に私は絶望していた
初めて死について考えた
愛する家族と2度と会えなくなったらどうしよう
私が死ななくても家族は?友達は?
寝る前にそんなことを考え涙する日が続いた
14歳で死にたいとか
27歳で死にたいとか
100歳で死にたいとか
色々みんな考えてるけどいつ死ぬかなんて誰にも分からない
ISISに脅え
ミサイルに脅え
首都直下地震に脅え
死と隣り合わせだとなんとなく知りながら
これから60年は生きるのだと信じて疑わないのだ
2年前の夏休み交通事故を起こした
大きな病気も大きな事故も
天災にも見舞われたことのない私にとって
初めて死をリアルに予感させる出来事だった
昨年の夏の終わり
愛犬が旅立った
そこからだ
死を恐れなくなったのは
死んだら愛犬に会えるのか
と思った途端死に対する恐怖がすっと消えていった
死後の世界に愛する人が居るか居ないかで
死に対する想いもかなり変わるのかな
死期が迫った老人が穏やかに見えるのも
どこかしらそういう想いがあるからだろうか
悪い癖だと思いながら
事あるごとに「死にたい」と言う時が
私を含め若者にはある
「死にたい」は今や「かわいい」とか「ヤバい」とかと同じ感じに使われていて
その言葉には多くの意味が含まれる
真剣に死にたいとは微塵も思っていないのに
死という言葉が年々軽くなっている気がする
長く生きるつもりはないわと叫びながら
明日あなたは死にます、と言われたら絶望してしまうのだろう
きっとそんなもんだろうな
死なんて